2011年 03月 13日
揺れた日のこと |
3月11日、わたしは東京にいました
たった1泊、友人の家に泊るつもりで、朝から東京をぶらり
バスでの移動中、赤信号で止まっていると、ゆれは突然やってきました。
どうしていいか分からず、とりあえずバスを降りて
あてもなく歩き出しました。
建物からは人があふれ出て、
公園には祭りのように人がいて、あまりの多さに、そこに加わる勇気が出ず
とにかく歩きました。
歩いて歩いて
ケータイは繋がりにくく、テレビもなにもなく
土地勘もないため、ほんとうにどうしていいか分からないままただ歩いて
でも、夜行バスでの移動と日中の疲れと、日が暮れるにつれ厳しさを増す寒さが一気におそって
歩けなくなりました。
とりあえず有楽町駅近くのビルに入り、
みんなにまじって地べたに座り、なんの情報も入らないまま、
余震でゆれつつ、とにかく無事だけは伝えなきゃと、必死でした。
寒いし、足は痛いし、お腹はすくし、
人は多くて、どの店もしまって、やっとこさお惣菜を2つ手に入れて食べ
いっときは孤独とも戦っていましたが、隣に座っていたおばちゃま2人に話しかけたら
すごく優しくて、仲良くなりました。
3人でしゃべって、笑って、いつのまにか時間がすぎて
本格的に寒くなってきたとき、建物の3階の床が木だと聞いて、3人で移動しました。
3階は暖かく、床が木というだけで他の温もりも感じられ、そこに落ち着くことにしました。
新聞紙や段ボールが配られ、アメやティッシュが「ご自由にお取りください」と置かれ
電車が止まっているとの情報しか分からず
これからどうなるっちゃろう、と、心配しながらも、
「あったかい白いごはんと味噌汁が食べたいねぇ」と言いながらも、
仲良くなったおばちゃまたちと、趣味の話をしたり、お互いの実家の話をしたり、
笑顔を絶やさず、ひたすら元気に、いました。
途中話しかけたサラリーマンとも仲良くなり、
友人におみやげで渡すはずだった千鳥まんじゅうをおすそわけ。
コットンで化粧落とししてたら、同い年の女の子からも声をかけられ仲良くなり、
携帯を充電してたら何人もの人に声をかけられ
どんどん人の輪が広がっていくのを感じ、さみしくなくなりました。
20時になって、ビルが締め切られ、出られなくなりました。
出れるけど、1回出たらもう入れないルールで
しかたなく、帰宅できない人みんなでビルにとどまることを決めました。
途中で電車がすこしずつ動きだし、何人かの人は帰って行きました。
そのときにみんな、「これ、分けてください」と
自分で買った非常食的な食べものや飲みものを置いていってくれました。
疲れているはずやったけど、みんな笑顔でした。
疲れ顔の人にも、はなしかけて笑いかけると、笑顔になりました。
いくら木でも床は床で、痛くて、30分も眠れず
余震は続き、館内放送や警報はひっきりなしで
朝4時には、「おはよう!!」とおばちゃまと声をかわして、動き出しました。
わざわざ外にでて、みんなの分のパンを買ってきて、そそくさと帰って行ったおじいちゃんもいました。
ほんとにみんな、笑顔でした
ほんとにみんな、優しかった
ひとりじゃないっちゃなぁ、て、感じました。
東北に比べたら被害も少なく、”被災”には当てはまらないほどだと思うけど、
人生でこんな経験、ちょっとやそっとじゃせんやろうって経験をできた
そしてあらためて、人の温かさと、当たり前の大切さを知ることが出来る
貴重な体験だったと思います
最後までおばちゃま2人はわたしの傍にいてくれて
駅でさよならしました。
お互い、名前も連絡先も、知らないまま。
ありがとう
急きょ、混雑する新幹線で大阪に帰りました。
東北・関東の被災状況をちゃんと知ることができたのは、大阪にもどってからでした。
こわくて、泣きそうになりました
被災地のみなさんの無事を祈り、亡くなった方々のご冥福をお祈りし、
これから少しでも早く、東北の、日本の元気が戻ってくることを祈ります。
by saetapp
| 2011-03-13 14:53
| 旅